吉本興業で働いていた頃、私は間寛平と仲良くなりました。彼がまだ新喜劇で通行人の役しかもらっていない時代で、私は彼と一緒に漫才の稽古をしていました。公演が終わると劇場で稽古し、掃除のおばちゃんにお弁当や寿司などを見つけて食べたりもしました。岡八朗さんにも見つかって、お金をくれたこともありました。楽屋には張り紙が出て、お弁当を食べないように言われるようになりました。しかし、支配人や事務員さんがよく連れて行ってくれるので、食べ物には困りませんでした。